他人のことを言える立場か。 [ふと思ったこと]
まぁ結局のところ、私も他人のことを言える立場ではなく。
私自身、"もっと周りから認められていい"と思っているところはある。思いっきり。
自分の成果を声高にのたまう、ということが、成果もなしに声高にのたまうのと同種に見えて嫌だ、というだけにすぎない。
もっとも思っているんだから、にじみ出ているんだろう。
周囲の、実績や成果を出す前に、ことさら"自分がすごいんだ"というアピールをしている姿勢にいらつくのは。
何のことはない、それが私自身の実績、ひいては私自身の存在を脅かすことだからだ。
そして。殊仕事に限れば、お客様に対して価値を提供する、という一点において共通の土台に立っているはずの相手に、存在を脅かす云々、自分の存在をアピールする云々、という話自体がおかしい。
相手の心情だから実のところは私にわかりようはないが。
相手が私の存在に脅威を感じていると仮定した場合、それはお互いが自認している役割が競合しているというだけでなく。
結局のところ、私自身が相手の仕事のやり方、価値観、姿勢を認めていない。そういうことだ。
それは自覚している。
相手の姿勢から私が読み取っている、"すごい技術を周囲にひろめ、感謝される"という自己存在規定に対して、"実際どうだかね。裏付けは?"という懐疑的な目を向けてしまう。
その認識は正しいにせよ間違っているにせよ、突きつけられて気持ちいいものではない。
自己存在を揺らがせておいて、認めるもへったくれもないもんだ。
それは、理解しようとしもしないで、理解できるようにお膳立てしろ、と要求しているのも同じであり。
またそれは、単純に相手にとってはたぶん普通の、上から目線での"ご教授"に対して、単純に反発してやり返しているだけでしかない。
実績や成果がある、ということがイコール他人からの成果に結びつくわけではない、ということは知っている。理屈として。
大体、自分の考える実績が、周囲の全員の認める実績とイコールではない。
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