SSブログ

意志ある、責任のある人生 [時事ニュース]

≪ブリスベーンの風 移植先進地からの報告≫
(上)「「移植リスクの比較 「生きる」ために選択」リビング‐健康ニュース:イザ!」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/70934/
(中)「「移植、徹底した説明 「将来」見据え決断を」リビング‐健康ニュース:イザ!」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/70953/
(下)「「移植の懐疑論打ち消す実績 病腎の可能性」リビング‐健康ニュース:イザ!」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/70973/

この記事の是非についてはおいておかせていただきます。私は私自身も周囲にも、腎臓移植に何らかの関連がある人はおりません。
当事者ではない人が、当事者の人の思い、重み、傷に安易に触れていいとは思っていないので。

ただ、一連の記事を読んで思ったことは。
おそらく、このオーストラリアの病腎移植を受けた人は、たとえがんの再発があったとしても、移植を受けたことを後悔しないだろうし、移植制度や移植を行った医師、提供者の方を恨むことはないだろう、ということです。
それは、公的制度として確立しているから、あるいは確率的な話から、生活の質、という部分から感じたというところもありますが、一番大きいところは、"決定を選択した人が自分の意志での選択に対して責任を負っている"と感じたところです。

自分自身、怪我や病気、不安な状態からとにかくやみくもに逃げたいから、安易に目の前の藁に手を伸ばすところがあります。
苦痛から逃れたいのは誰でもそうかもしれないですが、それは動物的な本能れべるでしょう。
それでは、次の苦痛が現れた時に、また苦痛を嫌がって逃げる、あるいは恨むということになりかねません。
それでは、たとえ生活の質があがり、その恩恵を享受していても、がんの再発が起こった段階で感情的に騒ぎ、結果として制度が成り立たなくなる、ということも起きてしまうと思うのです。

動物的本能ではなく、意志ある選択として次のリスクがわが身に起こっても引き受けることを選択したのであれば、後悔はないだろう、と。

その点で、オーストラリアで移植を受けた方々は、意志ある選択のできる大人だと思いました。
だからこそ制度がうまくいくのだ、と。


上記記事を扱った方のBlogです。分析が丁寧で参考になります。
「Because It's There “ブリスベーンの風”移植先進地からの報告~産経新聞7月24・25・26日付より」
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-493.html


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0