進歩のない [ふと思ったこと]
先日、ある集まりから抜けるという決定を自分で出し、集まりにて宣言した。
引きとめる人も、ま、いなかったし。
残念だという人もなかったわけだし。
単に記憶から薄れてそのうちなかったのと同じことになるだけさ、とうそぶいている。
自分なりには、まあ、一生懸命やった、んだろう。諸々の雑務を引き受けて。他人が集まらなくて結局中止になった時の場所のキャンセル料まで黙ってひっかぶって。
それが集まりにも自分自身にも結局プラスにはなりはしなかったんだけど。
# うん、まあ、これ自体は方向性は間違ってるな、とは後から思った。
ただ、集まりの時に自分なりに必死に相手のことを必死に考えて発言してきたつもりだった。大概スルーか、相手がこなくなるかだけど。
一番遠いところから参加していて、えげつない話だが交通費も時間も手間も断トツで払っていた。
が、正直、報われない、やるせない、という気持ちが参加すればするほど募った。
なぜ、頑張れば頑張るほど、集まりの主旨に沿おう沿おうとすればするほど、"一人でやればいいじゃん"の一言で片づけられるのか。
何故他の人なら失敗が許容され、私だけあらを探され、枝葉を矯めるような真似をされるのか。
何故、"○○な理由で主旨から外れている""ここがわかっていない"と言われるより、私には伝えようとせず放置されるのか。
その辺の煩悶を繰り返すうちに、その労力をもっと実のあるところにかけたい、と思った。
結局のところ、私自身も何も進歩もなかったんだろう。
# それを伝えたか?と問われれば、Noだった。
この感情をストレートに伝えても反発されるか、流されるかだけだろうと思った。
それ以外の伝え方も、知らないし、それを血反吐を吐くまで考えたか、と言われれば、Noだった。
その意味を見いだせなかった。
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