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これは危険だと思った。 [ふと思ったこと]

思ってる。

最近、仕事でよく自分が使っているアプリケーションのことを訊かれる。
イメージとしては、Wordの書式設定がわからないので訊かれる、みたいなものだ。
ちょっと触っただけではわからないがヘルプで調べればわかるたぐいのものだ。とはいえ、ヘルプもどこを見ればいいのかわからない、ということで、私に質問がある。
訊かれている内容自体は私でも答えられる範囲であり、回答している。

元々、私に質問が来るのは、私が知る範囲に限れば、私がそのアプリケーションと対象業務について一番知っているからだ。
ただ、それはなんだかんだで私が一番古くから、数年間ほぼ毎日使っているからにすぎない。
私だってヘルプを見てやっとこ使い方を覚えてきたというのが本当のところだ。そのアプリケーションや業務をすべて正確に掌握しているわけではない。

それでも、回答すれば感謝される。
私に質問されるケースは、大概困り果ててのことであり、私の回答が結果的に事態の打開につながる。困っているところへの助けとなれば、それは嬉しいだろう。
私だって自分が役に立てれば、それは嬉しい。

ただ、同時にこれは麻薬だ、とも思った。
思ってる。
嬉しいと同時に、怖さを感じる。
自分の仕事をさておいて、人に教える、という誘惑に駆られそうになる。


それが自分は"正義の味方"であると錯覚しそうだからであり。
"自分"が必要とされている、という錯誤を起こしそうだからだ。


私に質問が来るのは、相手の周りにその件に関して誰も頼れる人がいないからであり。同時に、そういう時にどうすればいいか、考えることを教わらなったからであり。
私がどうこうでは実のところない。相手の困りごとを助けているのは、該当アプリケーションの知識である。それをたまたま私が知っていた、という程度でしかない。ただの媒体の違いだ。
私がヘルプファイルに変わっても、話としては何ら問題はない。現状相手にヘルプファイルという選択肢がないだけだ。

確かに私は先人のいない中で、あれこれ調べて習得に努めてきた。それを否定する気はない。
だが、だからといって、今困っている人と私に差があるわけではない。
私はヘルプファイルを調べ、相手は私に質問した、程度の差だ。

私が質問に答えるのも、自分の業務のために調べるのも、全体としてよりよい成果を上げるためだ。
目の前の相手だけを見ていればいい仕事ではないし、やっていることも生み出すものもさほど差はない。
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