SSブログ

十年 [フィクション]

2005年年末から2006年年初にかけて、So-netで「GBA2005ノベル」というイベントがありました。そのとき、参加しようとして書きかけた小説です。
そのとき仕上げなかったので、下書きのままありました。
放置しておくのも何なので、加筆して公開します。

もちろんフィクションです。


私が9歳のとき、母とは音信普通になった。

物心ついた頃から、私は叔母の家で暮らしていた。
母は遠くの町で働いている、そう聞かされていた。

母とは一年に一度、私の誕生日に会うだけだった。
二人でテーブルをはさんで、黙って向き合っていた。
時々、母がぼそぼそと話しだすが、私が応じるとそこで言葉は途切れた。
その沈黙の儀式は、日が傾くまで続くと決まっていた。

私が9歳になった誕生日、母は来なかった。
叔母は母と連絡をとれなかった。
それから十年。
私は母に会ってはいない。

私は地方の一都市で叔母夫妻に育てられた。
母が何をしている人か、叔母夫妻は口にしなかった。田舎では恥とされる仕事だったらしい。
私も、訊かなかった。
いわゆる未婚の母というものらしく、父親は不明だった。

叔母夫妻は正直な人だった。私を虐待もしなかったが、自分の子と同じようにも扱わなかった。
叔母夫妻は高尚な人だった。”親戚とはいえ、他人の子を立派に育て上げる”との賞賛を目を細めながら否定して見せる程度には。
叔母夫妻は善良な人だった。”貴女はお金の心配などしなくてよいからね”と本人の目の前で何度も繰り返すぐらいには。

なので、私は遠慮なく優秀な子供として叔母夫妻に養われた。

私の居た地方では、”女に学はいらない"というのが常識だった。
高校卒業後、働いたとしても数年で結婚し、専業主婦になるというのが暗黙の常識だった。
高校卒業が近づくにつれ、叔母も当然のごとく結婚の話をにおわすようになった。
私は、その話になるたび相槌を打ち、叔母の話にあわせ。
そして、高校卒業と同時に、奨学生として首都圏の大学に進学した。
それから十年。私はあの土地へ足を踏み入れてはいない。

大学卒業後、私は就職した。
表面上の付き合いで適当に周囲の期待に応え、適当に仕事の成果を出す、そんなことはお手の物だった。
それから十年、私は一定のキャリアを築いていた。

ある日、私は出張に出た。
普段通らぬ道を歩き、歩道橋を渡り、降りようとして、私は歩みを止めた。
階段を老女が塞いでいた。
路上で生活するが故の大きな荷物に手間取り、一段一段、荷と自分を下ろしていた。

「手伝いましょうか」
ビクッとした様子で老女は私のほうを見上げた。
私は構わず荷物を持ち上げた。
老女はよろよろと階段を下りた。

地上で、荷物を受け取った老女は、顔も上げず弱弱しい言葉をつむいだ。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます・・・」

その瞬間、気づいた。
この人は、母だ。

そして、この老女は私の行く末だ。

「ありがとうございます。お嬢さん。ありがとうございます。ありがとうございます」
「・・・いえ」
私はきびすを返し、そのまま立ち去った。
老女も顔を上げぬまま、荷物を引きずり歩いていった。
私は振り向かなかった。おそらく老女も私など見向きもせず、よろよろと歩いていっただろう。
それから十年。私は二度と母と会うことはなかった。

私はごくありきたりな結婚をし、母親となった。ごく平凡という主婦を演じ、ごく平凡な母親を演じている。
だがしかし、私はふとした瞬間、私の背中に向けられる娘の視線を感じ取ることがある。
ただ黙って、私を見透かすあの目。

あれは、私だ。
30年前の私が、私を見つめている。

そんなとき、私は振り返って娘を見下ろす。

私が30年前の母となって、私の娘を見下ろしている。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0