"あがり"と"くずれ"、そしてそこからの回帰 [ふと思ったこと]
"彼らは、人生を“あがり”ととらえているんだな。"
引用元:「ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。Lesson 288 いつかより強くなって」
http://www.1101.com/essay/2006-02-22.html
"いやな言葉だけれど、「くずれ」というのは、
どこかで、その夢をあきらめた人のうち、
どこかで、その夢をあきらめきれなかった人、
だと私は思う。
"
引用元:「ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。Lesson167 「くずれ」ない行き方 」
http://www.1101.com/essay/2003-10-08.html
"どうしたらこの人たちは
軒先で愚痴を言うのをやめるんだろうか、と。"
引用元:「ほぼ日刊イトイ新聞 - いろどり、その後。2・心の話はしなくていい。」
http://www.1101.com/shimaguni/irodori/2007-08-21.html
ちょっと、ここ最近考えているところではあります。
例えばの話。たとえば。
事あるごとに上司の批判をする人がいるとする。
かといって。その人は上司に向かって何か提言をしたり、注意したりするわけではない。事あるごとに、主張をする。しかし、主張ほどOutputは出てこない。
とはいえ。上司がいなくなると、仕事以外の話に興じ、事あるごとにあげつらう。
何だろうと、思っている。
上司が変わったら、この情景は変わるのだろうか。
もちろん、上司は完ぺきではない。欠点はある。とはいえ。完璧な上司だったら、愚痴をやめ、この人たちは仕事をするのだろうか、と。
仕事の内容なのだろうか。仕事が面白ければ、愚痴は言わないのだろうか。
もちろん、おもしろければ仕事はするだろう。だが。この面白いは何だろう。遊びじゃあるまい。
たかが一労働者の望むままの仕事がおぜん立てされるなど、考えられない。
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