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「よっぽど自分に自信があるんだね」 [ふと思ったこと]

そう吐き捨てられたことがある。

控え目に言って傷ついた。哀しかったが、何も言わなかった。
相手の目的が結局「お前はおかしい」と非難することであって、別に私の考えなんて聞いていない、そう思ったから。
その判断自体は間違ってないと思っているが、あの時反論していたら何かが変わっていたのだろうか、とふと思うことがある。
# 火に油注いだだけだろうとは思っている。

何年も前なので、具体的な状況は忘れた。
ただ、多分私の作った資料だかそろえたデータだかにミスがあり、直して、再度ミスがあった、という状況だった、と思う。
その人と私の関係は、一応上司と部下、だったろうか。その当時のその部署は肩書がつく人がころころ変わっていたので、肩書がつく前だったのか後だったのか、正直よくわからない。
ただ、直接の業務指示関係ではなかった・・・ような気がする。
こうして具体的な事象を思い出して行こうとすると、かなり自分の中でも過去の話になっていた、んだな、と思う。それと、相当この人に対する印象はこの一件が尾を引いている、とも思った。他にもあるけど。


話がずれたので、戻す。
ミス自体は叱られるのはそれは仕方がない。同じことを繰り返せば、そりゃ馬鹿にされたと思うのもわからないではない。

だが、私がミスを繰り返したのは、決して"自分に自信が合って間違いを犯すはずがない"と思っていたからではない。
むしろ本人としては逆で、元々”自分はとにもかくにも常に間違っており、正しかったことなどない。正しい状態がわからない”というのが自分の実感だった。なので、本人としては確認したつもりでも他の人の言う確認にはならない、ミスを繰り返せば、”ほら、やっぱり私は正しくない”とどんどん”正しくない”を追認するだけなので、ミスをすればするほど確認が行きとどかない、むしろ確認するだけ無駄、な悪循環になる、というのは、今の私からの分析だ。
# この発想自体はよくない。


なんで、こんな古い話を思い出したのかと言うと、その人をちょくちょく見かけるようになった、というのと、立て続けに現在の業務でミスをしたときに、今一緒に仕事をしている人は、こういう叱責をしない、ということに救われているからだ。
ミスを責めず、ただ"こうしておいて""こうすればいい"という具体的な指摘だけがある。多分、不満や歯がゆさもあるだろう。だけど、私にはぶつけてはこない。それを甘んじて受けるべきは、ミスをした私だろう。
だけど、殊私の特性において、最後に成果につながるのは、具体的な行動指示だけの方だ。
相手が私を一人前とみなしていないのであっても、ただの作業要員とみなしていてもいい。それで最終的に成果につながるなら。組織に、お客様にプラスになるのなら。
むしろ、人として思いやった結果、それがどんなよい、正しい思いからであったとしても、ミスにだけ目を向け、本当に目指すべき最終的な成果を放置するのであれば、そんな思いやり要らない。そう思う。


・・・ここまで書いておいて、ミスした側の人間にしては傲慢だなぁ、とは思う。
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