むかしばなし。 [ふと思ったこと]
子供のころ、よく「だからあんたはダメなのよ」と言われていた記憶がある。
まあ、決してできのいい子供ではなかったのは確かである。
とはいえ、相手も相手先に理解できるような話の仕方やら、まあそういったことが上手くはなかった。それは云十年たってから気がついたことではあるのだが。
何にせよ、色々なものが足りてない子供に伝わらない話をして、案の定期待通りにならず、最終的に冒頭の言に至る、ということだったのだろう、というのは、大人になってからの分析、というか、新たに解釈を付け加えて落とし所をつけた、というべきか。
まあ、話をするような状況になれば状況や経過はどうあれ冒頭の言の状況に最終的にはなってしまうので、積極的にそばにはいなかったし、年齢を経れば行動範囲も広くなり、近くにいなければいけない理由も減ってはいくので。
結果論として、冒頭の言を言われる機会は減少はした。
云十年経過したのち、相手が人手を頼らざるを得なくなった時、言われたことを自分がやって、まあ、期待通りの働きはしてなかったことがある。
いらついた相手が言ったのが「あんたならやればできるんだから」だった。
あぜんとした。そんなこと言ったことねーだろ、ということで。
後から、実はそう思ってたってことか?とか考えたわけだが、しっくりしない。
最近になって、相手に言うことを聞かせるための言い方として、他人がしていたのを覚えてきたんだろう、という結論に自分の中でなった。
まあ、決してできのいい子供ではなかったのは確かである。
とはいえ、相手も相手先に理解できるような話の仕方やら、まあそういったことが上手くはなかった。それは云十年たってから気がついたことではあるのだが。
何にせよ、色々なものが足りてない子供に伝わらない話をして、案の定期待通りにならず、最終的に冒頭の言に至る、ということだったのだろう、というのは、大人になってからの分析、というか、新たに解釈を付け加えて落とし所をつけた、というべきか。
まあ、話をするような状況になれば状況や経過はどうあれ冒頭の言の状況に最終的にはなってしまうので、積極的にそばにはいなかったし、年齢を経れば行動範囲も広くなり、近くにいなければいけない理由も減ってはいくので。
結果論として、冒頭の言を言われる機会は減少はした。
云十年経過したのち、相手が人手を頼らざるを得なくなった時、言われたことを自分がやって、まあ、期待通りの働きはしてなかったことがある。
いらついた相手が言ったのが「あんたならやればできるんだから」だった。
あぜんとした。そんなこと言ったことねーだろ、ということで。
後から、実はそう思ってたってことか?とか考えたわけだが、しっくりしない。
最近になって、相手に言うことを聞かせるための言い方として、他人がしていたのを覚えてきたんだろう、という結論に自分の中でなった。
> makimakiさん
ありがとうございます。
by Mishika (2015-01-18 19:34)